リーダーシップについて その2

言い訳と信頼関係

言い訳の多い人と会話をしていると、誰しも嫌になってしまうのではないでしょうか?
人は誰でも言い訳をします。
言い訳しない人はいないのではないかと思います。

それにしても、その場だけつくろうような子供レベルの言い訳をされると、「これ以上この人と会話をしたくない。
話しても時間の無駄だ」という拒絶反応が出てしまいます。

「いい大人が、何でこんな子供じみた言い訳をするのだろう??」と、考えてみるために、自分が言い訳した時の心理を自己分析すると、言い訳する人間は、コンプレックスが強く自分を否定されることには過度に敏感で、少しでも自分を否定されていると感じると、自分を守ろうとして必要以上に言い訳をしてしまうのだと思います。

また、面倒くさいことが嫌いで(誰しも好きではないでしょうが……)、言い訳を並べることで自分がやりたくないことを正当化しようとしているのだと思います。
人は誰しもコンプレックスがあるし、面倒くさいことは逃避したいという本能もあります。だから、誰しも言い訳をしてしまうのだと思います。

しかし、言い訳をするということは、自分の非を認めないとか、聞く耳を持たないということに通じますので、言い訳をすることで、人間関係で一番大切な「信頼関係」を失うことになってしまいます。
言い訳をすればするほど、その人は人から信頼されなくなっていきます。言い訳をして、素直に聞く耳を持っていない人に、根気強く言い続けられる人は少ないと思います。

無意識で流されて生きれば、誰しも言い訳を垂れ流してしまいます。
言い訳をする際は、言い訳のデメリットを十分認識して、無意識で生きるのではなく、言い訳している自分を俯瞰して「あっ!!今、言い訳して相手の信頼を失っているぞ!」と言い訳の途中で、「かっこ悪い」自分に気づかなければいけないのではないかと思います。

言い訳をしてしまうことはOKでも、言い訳している自分のかっこ悪さに気が付かない事がNGなのではないだろうかと感じます。

「あり方」教育と「やり方」教育

社員教育をしていく際には、技術的な「やり方」教育と、考え方、生き方の「あり方」教育の2つを同時進行させなければなりません。

「やり方」教育はどの会社でも行います。
学校で言えば、「勉強」を教えない学校はないのと同じです。
仕事においての「技術」を身につけてくれれば、会社にとって戦力になります。
学校において「勉強」ができれば、試験でいい点数がとれます。

一方の「あり方」教育というのは、技術や勉強のように明確な1つの答えがあるものばかりではない場合が多いです。
1つの出来事に対して、見方、考え方によっては正解にも不正解にもなる様なことを、伝えていかなければなりません。

例えば、学校において,校則で決められている場合に「なぜ髪は染めてはいけないのか?」と生徒に聞かれたら、先生や親は自分なりに考える答えを用意して生徒や子供に伝えていかなければいけませんが、勉強のようにすべての生徒が納得するわけではありません。

職場においても、例えば、電車の遅延証明書を持ってきた社員に、毎回、遅延証明書を持って来れば遅刻が正当化せれるのか、それとも電車は、多少遅れることを前提で運行しているもので、10分や15分遅延しても遅刻にならないような想定をして家を出るのが社会人なのではないかということを伝えていかなければなりません。

学生時代の遅刻は、自分が遅れて自分が授業に参加できないのだから、自分の問題になります。
しかし、社会人において、遅刻するということは、お客様や同僚に迷惑をかけるということになるのです。
自分がした失敗で、自分が損をするのであればある程度は「次からは気を付けてください」で済みますが、周りの人に迷惑をかけているのであれば、学生時代以上に重く受け止めてもらわなければなりません。

学校におけるやり方教育は、道徳教育のようなもので、「いくら勉強やスポーツができても、人間として価値がなければ社会では通用しないですよ!!」ということですが、多くの場合、社会に出てから痛い目にあって、改めて「あり方」を学んでいかざるをえないように感じます。

一方、社会に出て、あり方教育のみをしていると、経験年数が増えるにつれて、「自分はできる(方だ)!!」という勘違い人間を量産してしまうことになってくるのだと思います。
仕事の技術は経験年数で比例してきますが、「やり方」教育は年齢とは関係ないような気がします。

答えのあるやり方は割と簡単に教えることができますが、答えが一つではないあり方は、本人が気づかなければ永遠に気づけないと思います。
勉強や仕事ができないことは自分も自覚できますが、みんな自分の「あり方」は普通だと思っているので、自分の「あり方」に問題があることを自覚できる人はほとんどいないと思います。

当クリニックでは、あり方教育に力を入れているので、賞与の際にスタッフ同士でお互いのあり方を点数化して、あり方を見える化しています。
当クリニックの社員レベルが高いと言われるのは、このあり方教育の仕組化にあると思っています。

「やり方」教育というのは、考え方や生き方を同じ方向に向けていくということで、一朝一夕には身につきませんし、教える方も日々、自分の生き方、考え方を正していかなければならないのです。
大人のあり方教育はとても難しいですが、難しいからこそ、やりがいも感じますし、そこに力を入れていくことで他の医院との大きな違いを打ち出せるのだと思っています。

朝礼の目的

当クリニックでは朝礼やミーティングや面談などのコミュニケーションを大切にしています。
朝礼やミーティングなどでは、私の考えやスタッフの考えを言葉や文章にしてもらっています。
頭の中にあることを文章や言葉で言語化していくことで、無意識に存在していた知識や経験を意識下に引き上げてもらいます。

人は多くのものを、無意識化に眠らせています。
無意識化にあるものを意識下に引き上げるためには、記憶の領域から感じる領域、考える領域に移動しなければなりません。
より深く感じたり考えてもらうために、自分の言葉で書いたり話したりして表現してもらいます。

いったん意識下に引き上げられたものは、自分の引き出しに入り、自分が使いたいときに使用できるようになってきます。
そうやって意識下の引き出しに入れなおして、初めて自分の知恵になるのです。

知識は借り物です。
知識を知恵に替えていくためには、自分で言語化していかなければならないのです。
当クリニックで、朝礼やミーティングなどでコミュニケーションの時間を多くとるのは、無意識を意識に替えて、知識を知恵に替える以外にもう一つの目的があります。
それは感情に流されない生き方をしてほしいという思いがあります。

人間は感情の動物です。
無意識に生きていると感情に流されてしまいます。
感情的に決めた判断は、多くの場合、悪い結果に結びつきます。

往々にして、自分の失恋は冷静な判断ができませんが、他人の恋愛相談には的確な回答を出せます(笑)
感情に流されないで理性的に生きていくためには、無意識で生きないで、意識しながら生きていかなければなりません。

無意識に感情に流されそうになった時に、意識的に理性が働いて感情にストップをかけるためには、普段から損か得かに流されないで、何が正しくて何が間違っているのかを意識しながら生きていくことが大切だと思っています。

日常で理性的に生きていくことで、感情的になりそうな時にブレーキが利きやすくなってくるのだと信じています。

涙の朝礼

ある日の朝礼で、話をしていて号泣してしまいました。
何か嬉しかったわけでも、悲しかったわけでもないのに、ただ感極まって涙があふれてきました。
朝礼前は自分の中ではプンプン怒っていたはずなのに、話し始めたら途中で理由も分からないまま号泣して話になりませんでした。

決して私は泣き上戸なわけではありません。ここ10年で人前で泣いたのは、自分の結婚式と妹の葬式以来かなと思い出しました。
結婚式では、妻の両親の気持ちを察すると涙が出てきて、妹の葬式では生前の妹がフラッシュバックしてきて可哀そうで号泣してしまいました。

その日の朝礼で涙が出てきたのは、自分の中でも理由が見当たらなくて、あえて言えば、自分のスタッフ教育に対する思いが強かったけど、現実とのギャップが悔しくて涙が出てきたとしか、自分の中でも説明がつかない涙でした。

さすがに、泣いた後は恥ずかしかったですが、後で「元気出してください、思いは伝わっています」というような事を言ってくれたスタッフがいて、やはり私の思いを分かってくれる社員もいるんだと実感できて、また違う涙が出そうでした。

最近の仕事の最大の喜びは、同じビジョンをもって成長していける人と一緒に働けることだと思っています。
ただ仕事をするだけでなく、同じビジョンを持って、仕事を通じて人として成長していける人と仕事ができる事ほど幸せなことはないと思っています。

多くの人がお金のために仕事していますが、私は同じビジョンを持った人と仕事をしていくことに喜びを感じたいと思っています。
どんな仕事をするかよりも、誰と仕事をするかという事が大切なのです。
医院の規模も売り上げも今は興味ありません。

ただ同じ思いの人と仕事がしたいのです。
私は今まで夢という事をあまり意識したことはありませんでしたが、今回の自分の涙で自分の夢は、「同じ思いをもって頑張れる人と一緒に仕事をしていくことなんだ」と気づきました。

自分の中で強く思っていなければ、人前で号泣なんてできないから、これは夢と呼んでいいんだと感じました。
まだまだ、スタッフ全員が私と同じビジョンで働いているわけではありませんが、それが自分の夢なのであれば、何年かかってもいつの日か、スタッフ全員が同じビジョンで仕事できる人でいっぱいにしたいなと再認識しました。

泣いたことは恥ずかしかったですが、この歳で熱くなれる夢があることがわかって嬉しかった面もあります。
その後何日か「人前で泣くことは恥ずかしいことだろうか?」と考えてしまいました。
朝礼で話をしていたら涙が出て止まらなかったですが、不思議と泣いてる自分の姿は隠さなかったです。

とっても不細工な顔で泣いていたと思うのですが、「これが私の思いです」という感じで、30人以上のスタッフに、どうぞご自由におがんでくださいという感覚だったのを覚えています。
仕事で泣ける、思いが強くて泣けるという事が自分の中で嬉しい部分でもありました。

嬉しくて泣く、悲しくて泣くという経験はありましたが、「思い」が強くて泣く、という経験は初めてだったので、自分の中では新鮮な部分がありました。
学生時代など、結構いい加減に生きてきたので、泣けるほど頑張ったことはありませんでした。

今は仕事に真剣で、もっと言えば社員教育に真剣で、心から良い人と一緒に働きたいと思っています。
高い目標をもって頑張っている人を育てることが、スタッフのためでもあり、患者様のためでもあると信じて疑いません。

それで辞めていく人が出ても仕方がないと思っています。
いろんな生き方があります。
楽をする生き方もあれば、頑張って成長していく生き方もあります。

僕は、仕事を通じて成長して生きていきたいと確信しました。
人は一人では生きていけません。
どうしてもコミュニティーを作りたがります。

そのコミュニティが、同じビジョンを持った人だけで集まっていると考えただけでウキウキしてきます。
私の中では、幸せは真剣に生きる、必死に生きる先にしかないと思っています。
そういう思いの人と仕事をしていければ、仕事ほど楽しいものはないのではないかと思います。

コミュニュケーション不足を埋めるもの

「人生の質はコミュニュケーションの質に比例する」ということを聞いたことがあります。
また、「人生における幸せは全て他人との関わりから発生する」ということも聞いたことがあります。
どちらも「そうだなっ!」と実感することが日々多いです。

見方を変えると、では、コミュニュケーション力を上げていくにはどうすればいいのか?
人生における不幸も、他人との関わりによる事も多いような気がします。
幸せとは自分のことや自分のしていることを理解してくれたり、認めてくれる人が多いことであり、不幸とはその逆であるように感じます。

そうなると、そもそも他人は自分のことを理解してくれる存在なのだろうか?
基本的な考え方のベースの部分として、「他人は自分のことを理解してくれないものだ!」というスタートで生きていくことが大切なのだと思います。

「人間誰しも自分が一番可愛くて、自分の思い込みや先入観で生きているので、他人の意見や考え方は素直には受け入れにくいものだ」という覚悟で他人と接していかなければ、「他人は自分のことを理解してくれているかもしれない」「ちょっと話せばわかってもらえる」という甘えた考え方で他人と接すると、「こんなに説明しているのに、何でわかってくれないんだ!」という不平不満になっていくのだと思います。

人間関係において、他人との考え方には大きなギャップがあり、それを埋めていくためにコミュニュケーションという手段があります。
しかし、コミュニュケーションにおいて他人との距離を完全に埋めることは不可能です。

物事にはその人にしかわからない、理解できないことがほとんどです。
年齢も違えば、バックグラウンドも違うし、コミュニュケーションを尽くして行っても両者の溝を完全に埋めることは不可能です。

コミュニュケーションを尽くして行っても埋められない溝を埋める最後の手段が「思い、情熱」なんだと思います。
自分はこういう「思い」でこう考えている、こういう行動をしているという強い思いが、相手の心を動かして、最後の溝が埋まってくるのだと思います。

仕事における上司と部下の価値観の違い、親子においての考え方、生き方の違い、政治における政治家と国民の温度差など、コミュニュケーションを尽くしてもうめられない溝を埋めようとする「情熱と思い」を持っている人だけが、周りと違った結果を導き出せるのではないかと思っています。

コミュニュケーションは大事です。コミュミュケーション力を鍛えるためには、ノウハウではなく「思いと情熱」を高めていくことが一番の近道ではないかと感じています。
このブログにおいても、私が伝えていきたいことは「ノウハウ」的なことではなく「思い」だと思いながら書いています。

振れる仕事と振ってはいけない仕事

クリニックの規模が大きくなっていくにつれて、自分一人の力ではどうにもならなくなってきて、幹部スタッフに仕事を振っていかなくては機能しないことが多々あります。

幹部スタッフに仕事を振っていく際の基準の一つに、「思い」が必要な仕事と「思い」の必要でない仕事があります。「思い」が必要ない仕事を振っていくときには、相手の「能力」だけで判断できますが、「思い」が必要な仕事は、基本的には自分でするしかないか、まずは相手に自分の「思い」を伝えられるかどうかを考えます。

人はまず心が動いて体が動きます。
心が動かなくてもできる仕事と、心が動かないとできない仕事があり、特に心が動かなければどうにもならない仕事があります。
患者様やスタッフの心を動かさなければならない仕事は、行い手の「思い」がすべてになってきます。

例えば、職場をきれいにしたいと思っている人と最低限にきれいでいいと思っている人に同じ仕事を頼んでも、当然出てくる結果は雲泥の差があります。
その差は、行った人の責任ではなく、頼んだ人の責任になります。
適切な人に適切な仕事を頼まなければ、当然、思うような結果は出てきません。

教育も同じです。「この子をどうにかしてあげたい」という強い思いがあるから、面倒な教育を継続できるのです。
自分の子供だから、20年近くも根気強く関わっていけるのです。
いい教師とダメ教師の違いは、能力ではなく「思い」の差です。

どんなに頭のいい人に教育を頼んでも「思い」がなければ教育なんてできないものです。
「授業」という作業をするには「能力」が大切かもしれませんが、「教育」という仕事をしていくためには「能力」以上に「思い」が必要になってくるのです。

基本的に、「思い」というのは発信者が100とすれば、誰かに頼んでいくほどに低くなっていくものです。
自分の100の「思い」が、50や30の人に頼んで、出来上がりの結果が低いレベルになったとしても、それはなるべくしてなった当然の結果になります。

自分一人の力では、やれることは限られてしまいます。
誰かにお願い、協力してもらったり、誰かを巻き込んで何かを成していくためには、「思い」を共有していくことが何よりも大切なことになってきます。
人間関係って、どこまで自分の「思い」を伝えていけるかが全てのような気がする今日この頃です。

思い、志

私の生きているテーマの1つは、「思い、志」の確立です。
人間の価値は「思い、志」ではないかと思うようになってきました。
何のために頑張るのか、その行為は誰の為にやっているのか、自分の信念は何か、自分は何を基準に生きているのか、……

全てのことは「思い、志」で決まるように思います。
仕事で悩んだ時にも、頭で考えないで心、思いを確かめるようにしています。
思いがあれば技術は後からついてきます
頭で考えたことは失敗する、心で感じたことはやり遂げられる

とはいっても、思い、志を自分の中に根付かせるためには時間と根気が必要です。
日々小さなことを真剣に向かい合うことでしか志は根付いてくれないと思っています。
思い、志を高めてくれそうなDVDと本を紹介いたします。

DVDでは「沈まぬ太陽」です。
渡辺兼役のサラリーマンに感動しました。
これからの時代にはこういう人が必要です。
世渡り上手、テクニックの時代は終わろうとしています。
今は競争の激しい、厳しい時代ですが、逆に本物だけが生き残れる時代になってきたと思っています。

本物と偽者の違いは、「思い、志」の違いだと思います。
それは目に見えません。心で感じるしかありません。
「思い、志」のある人間の周りには同じような人間が集まります。
偽者の周りには、偽者が集まります。
こういう時代だからこそ、自分の為でなく利他の精神が評価されるのだと確信しています。

「サムライスピリット」(幻冬舎)にも「思い、志」の大切さが満載です。
「思い、志」はすぐには定着しないし、目に見えた利益は無いかもしれませんが、人間の幸せには不可欠のものだと確信しています。
私の人生のテーマは、損得の基準から、思い、志の基準で生きると事に転換していくことです。

「沈まぬ太陽」「サムライスピリット」2つとも自分を鼓舞してくれる作品です。
私の夢、目標は、クリニックのスタッフも全員「思い、志」の高い人間で一杯にしていくことです。
そのためには、まずはトップの自分の「思い、志」を高くしていかなければなりません。

何のために頑張るか

最近、自分のことを学校の先生だと勘違いすることがあります。
というか、自分のことを意識的に教師だと思おうとしています。
社員も30人以上を超えますと、一人一人の社員が自分の力を発揮してくれなくては患者様の満足を得ることはできません。

私一人の能力なんてしれたものです。
社員に成長してもらい、自ら行動する自立型人間になってもらうにはどうすればいいかをいつも考えています。

私が野球部の監督だと仮定すれば、本気で甲子園を目指したいと思っていても、生徒は野球部に所属することで楽しく野球をやっていきたい、と思っていれば、このギャップを埋めていかなければなりません。
甲子園を目指したい、日本一をめざしたいと思うのは監督の勝手ですが、甲子園を目指すことで、生徒たちにどんなメリットがあるのか、頑張ることでどんな未来が待っているのかを根気よく伝えていかなくてはなりません。

甲子園を目指すのは生徒のためだと信じて、夢を語らなければ、どんな生徒でも楽な生活を望むでしょう。
大変だけど、それ以上に得るものがあると思った生徒は、本気で甲子園を目指すでしょう。
頑張る人と頑張らない人の違いは、人間性の問題ではなく、努力の向こうに何があるかが見えているか見えていないかの違いだと思っています。

しかし、ほとんどの人は努力の向こうの喜びが見えないので、甲子園を目指すよりは、学生生活をエンジョイしたいと思っていると思います。
甲子園常連校には、初めから努力の向こうにあるものが見えている人が集まってきます。
その移行期が大変なんだと思います。

甲子園を目指すなんて聞いてないよ、そんなことは自分の夢ではないよという人がほとんどの場合に、1人でも多くの人に甲子園を目指す意味と価値を分かってもらわなければなりません。
そんなことを何年も根気強く続けた結果が、甲子園の常連校になれるのではないかと思っています。

昔、スクールウォーズという高校ラグビーの花園を目指す実話のドラマがありましたが、山口先生のような情熱を持った人間になりたいなと思って、山口先生の講演CDを何度も聞いています。
それにしても、山口先生の生徒を思う情熱は熱すぎて、凡人にはやけどしそうです。(笑)

甲子園に出ることが尊いのではなく、甲子園を目指して、普通ならできない努力ができる人間になることで、その後の人生にプラスになるのではないかと信じています。
まずは監督の自分が、本気で甲子園を目指すような生き方考え方をしていかなければと思っています。

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